ご相談・お見積無料で承ります!!

解体施工実績

正直なお声

スタッフ紹介

氷室建設が選ばれる理由

悪徳解体業者を許すべからず

解体工事

スタッフへの想い

氷室建設

株式会社氷室建設

〒476-0002
東海市名和町一番割中64-2
TEL:052-938-8791

東海市を中心とした地域に密着しています!!

名古屋市(千種区・東区・北区・西区・中村区・中区・昭和区・瑞穂区・熱田区・中川区・港区・南区・守山区・緑区・名東区・天白区)

東海市、大府市、豊明市、知多市、常滑市、半田市、豊田市、刈谷市、安城市、岡崎市、日進市、尾張旭市、春日井市、小牧市、豊山市、岩倉市、一宮市、稲沢市、愛西市、北名古屋市、清須市、蟹江市、四日市市、桑名市、岐阜市、多治見市

どうぞお気軽にお問い合わせください

ひむろぐ

HOME > 近隣の方の声 > 熊本日記 No6 金城様邸と氷室建設の慰安旅行日記 1~2日目

熊本日記 No6 金城様邸と氷室建設の慰安旅行日記 1~2日目

kinjousama

こんにちは 前回のアップからだいぶ時間が経ってしまいましたが 引き続き 熊本での出来事やそれに関することを記事にさせてもらいたいと思います。

 

 

 今までは ブログ・フェイスブック・youtubeでそれぞれアップしていましたが これからは文章の間に写真を入れる事の出来るブログをメインで使用していきたいとおもいます。

 

 

もちろん 理由としては より臨場感を感じて欲しいからです。

 

 

以前にも書きましたが 記事をアップする頻度が少なくなっているように感じるかもしれませんが 僕たちの作業の方はいたって順調で というよりも順調すぎて自分たちがビックリしているほどなので 心配してくれている人は安心してください。

  

 

そして これからも いいね!やシェアなどの協力をしていただけると心から嬉しく思います。

 

この場を借りて いつもいいね!やシェアしてくれる人たちに感謝の言葉を伝えさせてもらうと同時に どうして 知って欲しいか? の本当の理由を書いておきます。

 

 

僕が この ” 熊本日記 ” を書き始めた最初の記事に載せた内容になるんですが この熊本に来る前に氷室建設の従業員を全員集めて言ったこと。

 

 

それは 

” 伝説を作ってこい ” 

 

この言葉には色んな意味を含めて伝えました。

 

・ もちろん 困っている人の力になってこい。 

 

・ 自分たちがいかに高い意識で 向上心を持ち 日々仕事を通して人間力を高めようとしているかを知ってこい。

 

・ これは途中から増えた理由の一つとなりますが 熊本に覚悟を決めて乗り込んだ 津留の愛娘 セラちゃんの勇気に応える為。

 

そして これは 誰にも言うことなく 結果として成し遂げたかった事なんですが 

 

実は 僕には 伝説を作る 本当の理由があります。

 

 

それは

 

 

僕と共に ぺーペーの頃からずっといっしょにやってきた うちの熊本部隊のリーダー 津留忠義 に最後のプレゼントをしたいから。

 

 

その僕が与えたいプレゼントとは何か?

 

 

それは 彼が 18年間 この解体業に従事し そしてその最後の三か月を ずっと一緒にやってきた仲間と共にではなく 自ら名乗り出て ここ熊本に入る事を決めてくれた事。

 

 

そして 何よりも 彼が生きてきた人生が本当に価値や意味のあるものだったと感じて卒業してもらうために

 

 

なんとか うちの若い衆や そいつらの心意気をメディアに届かせるためです。

 

 

僕は いの一番に手を挙げてくれた津留に そして 本当に未熟だった僕を受け入れ 時には涙を流し 時には歯を食いしばりながらもずっとついてきてくれた彼に 何とか恩返しがしたい。

 

 

それが 彼がメディアに出る事で そして そのテレビやラジオか雑誌なのかはわからないけど それを彼自身が客観的に見る事で 今後の彼の人生にとても大きな自信になる事は間違いない。

 

 

それが出来る 彼への最後のプレゼントだと思い ここまで 記事をアップしてきました。

 

 

なので ながながとなりましたが 引き続きいいね!やシェアをおねがいしたい。 という事です。

 

 

これからもよろしくお願いします。

 

 

では 記念すべき 六件目となる 熊本市北区にある金城様邸の解体工事に関わる話と 半分おまけですけど その時期と丁度重なった 氷室建設の慰安旅行について書かせてもらいます。

 

 

まず 僕たちは 10/9~10/11まで 慰安旅行に行きました。

 

 

初日は 鹿児島空港まで行き そこで熊本班と合流しました。

 

 

 

 

久々の再開は この写真でも分かる様に お互い笑顔での再会となりました。

 

 

今は 氷室建設が 二つに分かれています。

 

名古屋と熊本

 

お互いが 「 あっちだってがんばっとるんだから・・・ 」 という共通意識を持ち かなり良い相乗効果が生まれています。

 

そして 合流後 僕がどうしても若い衆を連れて行きたかった場所 鹿児島の知覧特攻平和会館 に 連れて行きました。

 

 

 

そこで 思いもかけない人に遭遇しました。

 

 それは この人です。  ↓

                ↓  

                ↓

                ↓

                ↓

 

 

わらえますよね。 そうです 師匠です。

 

そして 僕と師匠の間にいるのが 師匠の二男

 

 

自称 天才の 中村 日向(ひゅうが) 

 

 

我ながら なんと引きの強い男だ!と 自画自賛してました。

 

 

見学もおわり 無事師匠との別れもすませ 

 

 

そのままバスで熊本に直行しました。

 

 

当然 旅行の夜は大宴会。

 

熊本城が見える 料亭での大宴会。

 

 

 

 

 

散々飲んで食って そして案の定騒ぎまくって 仲居さんたちの顔は露骨に引きつっていましたが 幸いにも出入り禁止になる事はありませんでした。

 

 

そして二日目

 

 

僕が一番見せたかった場所 益城町にバスで移動しました。

 

 

益城に近づくにつれ 屋根瓦が落ち ブルーシート養生してある住宅がポツポツと視界に入り始め バスの中は予想通りざわつき出しました。

 

 

そして 益城町に入った途端 うちの連中は絶句していました。

 

 

当然の反応でした。

 

 

未だ 倒壊した建物が多く残り 工事も全然進んでいない現状です。

 

 

僕たちは 県外の人がニュースでよく見た あの益城町役場に行き バスを止め 全員が下車し 一体何の為にここに来たのか?というとても大切な事だけを伝え 自由時間としました。

 

 

チーム熊本の合言葉 

” 僕たちに何かできる事はないですか? ”

 

その言葉を使う 使いどころを探すためでもありました。

 

 

解散して わずか五分もしないうちに 若い衆のユキヤから電話が鳴りました。

 

 

「 社長 神社で手伝って欲しいと言っている人がいるんですが 手伝ってもいいんですか? 」

 

 

この質問に 僕が激怒したのは言うまでもありません。

 

 

そんなこんながありながら 益城の見学が午前中で終わり

 

 

次は チームを 南阿蘇チームと熊本チームにわけました。

 

 

南阿蘇チームの事は 次回の記事で書かせてもらいますが

 

 

今回は タイトル通り ようやくここからが金城様邸の話となります。

 

少し余談になりますが 熊本の公費解体工事の工事金額の単価は 全物件 一律となっています。

 

 

なので 立地条件次第では 物凄く単価の良い事もありますが 現実的には 物凄く単価が悪い物件が多くなります。

 

 

何故なら 道が狭く 丘陵地に住宅が建っている事が多いから。

 

 

つまり 大きなトラックや重機が入る事が出来ず それが原因で実際に掛かる金額が多くなるからです。

 

 

そんな中 この金城様邸は 大型トラックが入る事が出来ず

重機を入れる事も出来ず 尚且つ 道路から6mも上がった所に家が建っているという 条件的には最悪の条件でした。

 

 

なので 約三十人で行ったメンバーの内 20人を引き連れ

その金城様邸の解体工事に連れていきました。

 

 

僕たちは名古屋ではいつも 何班にもわかれて現場に行くので

これだけの人数で一つの現場にはいる事はほとんどなく しかも現場指揮官が僕なので 

 

みんな旅行なのに作業服を着せられたことも

 

旅行なのに トラックで移動したことも 

 

旅行なのに 僕に怒鳴られまくった事も 

 

 

だれ一人 嫌な顔をすることなく というよりも現実的に言うなら

 

 

誰一人 嫌な顔を出来るわけもなく 

 

 

僕の中では 一致団結し 作業を進めました。

 

 

 

 

見たまんまですが いつもならリーダーの健が いつもなら手元のだいきよりも 思いっきり声をだし 思いっきり笑いながら 屋根瓦を手渡しで撤去していました。

 

 

 

 これまた見たまんまですが 建物外に投げ下ろすスペースがないため 二階の床を抜き 二階から一階に廃材を落とし そこからトラックに積み込むという 作業を繰り返していました。

 

 

 

これも見たまんまですが すべて手で壊すしかないので

 

壁の縁を切り ロープでしばり 人力で引っ張り倒す。

 

人数が人数だし 急な思い付きでの作業だったので ヘルメットが無い事は 目をつぶってあげてください。

 

 

 

これも見たまんま 狭い場所での作業なので 非常に危険でした。

 

写真一番右側で 露骨に腰が引けてるのが さっき出てきたユキヤです。

 

はっきり言って プロとしてあるまじき姿だと思い

 

この後 またまた 烈火のごとく怒りました。

 

 

 

そして この写真も見たまんまですが

 

熊本部隊の最年長の前科者 角さんが

 

 

テンション上がり過ぎて トラックの中で踊りだしました。

 

 

仕事は仕事だから 当然 一生懸命にやらなければならない。と 若い衆には常日頃から言い続けています。

 

 

でも それと同様に この写真の通り

 

 

思いっきり楽しみながら取り組むのも大事な事です。

 

 

要は メリハリです。

 

そして 最後の写真となります。

 

 

 

 

この写真の右側に移っているのが 金城様

 

 

ここまで 書く書くと 書き続けて一切触れてこなかった 金城さんの話。

 

 

何故なら

 

 

” 正直 あの時の事は あまりおもい出したくない ”

 

 

この一言を 金城さんから頂いたからです。

 

 

僕はこの言葉を聞いたとき 身が引き締まる思いでした。

 

 

直接頼まれたわけではないのに 僕たちは

 

 

” 熊本の人たちの為に ” と

 

 

大義名分を掲げ 今までやってきました。

 

 

それが 縁があって関われた人達への 感謝となるのだと

 

 

そこを疑う事もなく 自分たちの正義だけを掲げてきました。

 

 

勘違いしてほしくないので あえて書かせてもらいますが

 

 

金城さんは 雨の中 原チャリに乗ってでも 差し入れをしてくれるなど 本当に僕達業者の人間には 温かい人でした。

 

 

ただ 失ったものが大きく その傷跡も癒えない中だったので

 

 

さっきの一言を 言ってもらえたということです。

 

 

僕も うちの人間も 素直で吸収力は高いと思います。

 

 

だからこそ 今回の金城さんから頂いた 新たな見方を

 

 

一つの捉え方として 今後に活かさせてもらいたいと思います。

 

 

今日は 今までで 一番の長文となりましたが

 

 

ここまで ありがとうございました。

 

 

くどいようですが

 

 

いいね!やシェアしてもらえると 幸いです。

 

 

ありがとうございました。

 

お問い合わせはこちら
電話番号お問い合わせはこちら